鎌倉には7つの切通があります。その7つの切通を1日で歩けるかどうか挑戦してみました。
鎌倉を歩くには靴は大事です。私はColumbia(コロンビア)を愛用していますが、全然足が痛くならない優れものです。
鎌倉観光でお寺に参詣する際に靴を脱ぐ機会が結構多いんですよね。そんな時、靴ひもを毎回結びなおすのは結構手間なんです。紐を結ばなくて済む靴を選ぶのも一考です。


鎌倉の七切通とは

鎌倉には、極楽寺切通・大仏切通・仮粧坂・亀ヶ谷坂・巨福呂坂・名越切通・朝夷奈切通の7つの切通があります。
鎌倉は南が海に面していて、他の三方は山に囲まれていますので、外の地域への行き来は峠を越えないとなりませんでした。
そのため、人や物資の往来のために山の稜線を切り開いて道を作りました。
この切通の役割としては、 鎌倉と外部との人や物資の行き来を容易にするための交通路としての役割と、敵の侵入から鎌倉を守るための要塞として防御拠点としての役割がありました。
朝8時14分 極楽寺駅を出発し、7つ目の朝夷奈切通を抜けたのが13時半と、トータル5時間、距離にして15km強でした。
疲れましたが、とても大きな達成感がありました。
今回のお勧め本は、神谷道倫著『深く歩く 鎌倉史跡散策 上・下 (改定増補版)』かまくら春秋社 2012 です。
鎌倉を22のコースに分けてかなり細かく紹介してくれています。鎌倉に何度も足を運んでいるがさらに詳しく回りたい人にお勧めします。
例えば、「(前略)その上の見上げる高さに四基の石塔が並んでいる。馬頭観世音、青目金剛など文字を彫ったものの他に・・(後略)」とか、「その橋のたもとにかつて夷堂を説明する石碑が建つ」とか、「左折してマンションへの坂を上って行くと花崗岩の台石上に地蔵菩薩坐像が安置されている。その両側に二基の五輪塔と宝篋印塔・層塔が一基づつ据えられている」などなど。え!あんなとこにそんなのがあったの?今度行った時に見てみよう!という鎌倉の新たな発見がぎっしり詰まっています。ほんとよく調べてます。
今回はこのコースを歩いてみよう!という気にさせてくれる本です。


極楽寺切通
坂ノ下から極楽寺を経て七里ガ浜・片瀬方面へ抜けるこの坂道は、かつて鎌倉・京都往還の重要な出入口でした。極楽寺の門前まで続くことから「極楽寺坂」とも呼ばれ、開山・忍性によって切り開かれたと伝えられています。
鎌倉時代の切通は、現在の成就院境内付近を通る急勾配の細い崖道でした。1333年(元弘3年)の新田義貞による鎌倉攻めでは、北条方が木戸を設けて防衛し、この道からの侵入を阻止しました。突破を断念した義貞は、のちに稲村ガ崎から鎌倉へ攻め入ることになります。
現在は大きく掘り下げられ、道幅も広がり、車が行き交う道路となっています。




大仏切通
大仏切通は、長谷から常盤を経て藤沢方面へ抜ける道で、狭く急峻な古道の姿をよく残す国指定史跡です。道の両側には苔むした高い岩壁が迫り、鎌倉らしい険しい山道の雰囲気を今に伝えています。
この切通は江戸時代から明治時代にかけて何度か整備されました。常盤側の入口付近には、やぐらや五輪塔が残る岩壁も見られます。また周辺には「東坂」「仲の坂」と呼ばれる場所があり、いずれも大仏切通へ通じる坂の名に由来すると考えられています。




大仏切通から、大仏ハイキングコースを通って仮粧坂に向かいます
仮粧坂
化粧坂切通は、扇ガ谷・佐助から梶原、藤沢方面へ抜け、さらに武蔵へと通じる重要な要路で、今も古道の雰囲気を残す国指定史跡です。文献によって「化粧」「気生」「気和飛」など表記が異なり、由来も首実検にちなむ説や、娼家の存在、樹木が生い茂っていたことから「木生え(気勢)」と呼ばれたとする説など諸説あります。『吾妻鏡』建長3年(1251)12月3日条には「気和飛坂」の名が見られます。
元弘3年(1333年)新田義貞が鎌倉に攻め入る際に激戦が行なわれ、幕府軍を破った場所でもあります。現在も坂は険しく滑りやすい場所があるため注意が必要です。坂を上りきると源氏山公園に出ます。



亀ヶ谷阪
亀返坂切通は、扇ガ谷と山ノ内を結び、その先の武蔵(現在の東京・埼玉を中心とした地域)へ通じる重要な要路でした。現在も生活道路として使われている国指定史跡です。
今でも急坂ですが、かつてはさらに険しく、建長寺の大覚池の亀が坂を上ろうとして途中で引き返した、あるいはひっくり返ったという伝説から「亀返坂(かめがえりざか)」と呼ばれるようになったと伝えられています。坂の北側は「延寿堂谷」と呼ばれ、かつて建長寺の僧が療養した延寿堂があったことに由来するといわれています。



今回もう一つのお勧め本は、秋山 哲雄著『都市鎌倉の中世史 吾妻鏡の舞台と主役たち』 (歴史文化ライブラリー 301) 吉川弘文館 2010 です。
東大卒なのに分かりやすい文章を書かれる(すみません、偏見かも・・)のでとても読みやすいです。若宮大路は京都をまねたものではない。なぜなら鎌倉の道自体が碁盤になっていないから。鶴岡八幡宮のイチョウは倒木する前で1000年と言われているが、鎌倉時代はなかった(500年?)。たとえあったとしても実朝暗殺時には巨木ではないだろう。などなどとても面白く読むことが出来ました。
今回の切通を歩くでは、ほぼ鎌倉を横断しますので、ぜひ当時の鎌倉を思い出しながら歩いてみてはいかがでしょう。


巨福呂坂
小袋坂切通は、青梅聖天社の前から尾根を越え、建長寺前へと至る道でした。雪ノ下から山ノ内へ抜ける道にあり、常陸・奥州への交通路となっています。
現在は「小袋坂」と書きますが、古くは巨福呂坂・巨福路坂・巨福礼坂などと表記されていました。現在は通り抜けできませんが、江戸時代の庚申塔や道祖神が残る国指定史跡です。
鎌倉時代、この道は急峻で通行が困難だったため、三代執権・北条泰時が改修を命じたことが『吾妻鏡』に記されています。また、1333年の新田義貞の鎌倉攻めでは、堀口貞満の軍がここを突破して鎌倉に攻め入りました。なお、鶴岡八幡宮西側から北鎌倉へ抜ける現在の道路は、明治19年(1886年)に開かれたものです。




このあと、鶴岡八幡宮に参拝して、名越まで歩きます。
名越切通
名越切通は、鎌倉から三浦半島を経て、東京湾を渡り安房(現在の千葉県南部)へと通じる重要な交通路として開削されました。北条氏が同じ御家人の三浦氏を牽制する点で防御上重要な意味合いを持っていました。
現在の名越トンネルの上を通る道で、険しい難路だったことから、古くは「難越(なごし)」と呼ばれ、地名の由来になったといわれています。



国指定史跡で、開削時期は不明ですが、『吾妻鏡』天福元年(1233年)8月条に「名越坂」の記述があり、それ以前に開通していたと考えられています。切通には当時の姿が色濃く残り、北側には「まんだら堂やぐら群」、山腹には石切の跡が続く大切岸(お猿畠)などの史跡が見られます。
三浦一族の衣笠城へ通じる要路でもあり、鎌倉防衛の要となった場所です。



小坪トンネルを抜け、逗子鎌倉ハイランドを通り朝夷奈切通に向かいます。ここが一番あるくかな。桜の季節はハイランドは特にきれいです。
朝夷奈切通

朝夷奈切通は、鎌倉七切通の中で最も古道の面影をよく残す国指定史跡です。鎌倉と六浦(現在の横浜市金沢区)を結ぶことから「六浦口」とも呼ばれ、鎌倉東側防衛の要所でした。
豪傑として知られる朝夷奈三郎義秀が一夜で切り開いたという伝説がありますが、『吾妻鏡』によれば仁治元年(1240年)に造営が決まり、翌年、三代執権・北条泰時の監督のもとで工事が行われたと記されています。鎌倉へ物資、とくに塩を運ぶ重要な交通路として利用されていました。
写真 石碑 昭和16年3月健



朝夷奈切通まで来たのなら、ぜひ熊野神社にも足を伸ばしてほしいです。厳密には横浜市になるんですが、静かで厳かで幻想的な場所です。感動間違いないです。









朝夷奈切通を抜け、バス停から大船駅行に乗って帰宅。
コンビニで休憩したり、寄り道したりしながら約5時間の行程でした。
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鎌倉には7つの切通以外にも
▶釈迦堂切通:現在通行止め、2026年度再開の情報有、釈迦堂切通の上には日月やぐら、唐糸やぐらなどもあります。早く行きたい!早く見たい!




▶大船の切通などもあります。
これらは鎌倉市内にあるため7切通に含まれていませんが、行く価値有です。
★龍宝寺の裏山には、北条家のお墓(跡)や尾根道がありますので、こちらもお勧めします。
私は諏訪神社の奥から山に入り、岡本神社にたどり着きました。






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