2004年から行われている鶴岡八幡宮 七夕祭り。鶴岡八幡宮では境内には色とりどりの短冊や笹飾りが並び、夏の訪れを感じる華やかな雰囲気に包まれます。
七夕ならではの祈りと季節の彩りが楽しめる行事で、写真撮影にも人気の一日です。
この記事では、七夕祭の神事の流れや見どころ、当日の境内の様子をわかりやすく紹介します。
7月7日は午後5時から神事が執り行われます。七夕の週(7月1日から7日)には、木製の絵馬を奉納し、桑の葉の形をした紙に願い事を書き込み願い事をすることができますので、願い事を書いて祈ってみてはいかがでしょう。
鶴岡八幡宮 七夕祭り スケジュール
鶴岡八幡宮 七夕祭り 17時から
鶴岡八幡宮では、様々な願い事が書かれた、梶の葉をかたどった色紙と短冊型の絵馬が、七夕祭の行われる舞殿の周りに結ばれてご神前に奉納されます。



17時前に神職が出てきて、舞殿に登り祭事が執り行われます。
2019年見学した際はあいにくの雨でしたが、和傘を差しながらの移動も見ていて楽しいものですね。



鶴岡八幡宮 七夕祭り
鶴岡八幡宮では、17世紀初頭にまで遡る七夕の儀式の歴史が記録されており、京都の冷泉家に伝わる祭りなどを参考にして2004年(平成16年)に復活しました。
楼門の内側、七夕姫像の周囲には、竹や造花、飾り紐などで飾られた装飾品が並べられ、神々には特別な供物が捧げられます。
また、季節の野菜、楽器、染めた絹や布の巻物などが供えられます。



古代には、7枚の梶の葉に和歌を書いてお供えし、願い事が叶えられるように祈る風習があったことから、七夕の週(7月1日から7日)には、参拝者は木製の絵馬を奉納し、桑の葉の形をした紙に願い事を書き込み願い事をすることができます。
また、願い事が叶うように、鐘を鳴らす儀式も行われます。
参考
👉 鶴岡八幡宮公式ホームページ「7月7日 七夕祭」
👉 Tsurugaoka Hachimangu Official Visitors Guidebook
👉 原田寛 写真・文『鎌倉のまつり・行事 小事典』かまくら春秋社 2012
せっかくですので、7月7日かその前に鶴岡八幡宮に参拝し、願い事を書いて舞殿に奉納しておくと祭事に際にご利益がもらえるかも・・・
アクセス
鶴岡八幡宮
鎌倉駅東口を出て、小町通りを通るか、まっすぐ歩いて若宮大路から段葛を通るのがお勧めです。
歩いて10分程度です。
開門・閉門時間 通年:6時〜20時(本宮の中で参拝できるのは8時からです)
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
鶴岡八幡宮社務所 TEL:0467-22-0315
鶴岡八幡宮では1年を通して数多くの神事が執り行われています。
ブログで紹介していますので、よかったら覗いてみてください。
👉 鶴岡八幡宮の神事・祭事
日本の有名な七夕祭り
日本の「七夕祭」として有名なのが、仙台の七夕祭、愛知県一宮の七夕祭、埼玉県入間川の七夕祭、神奈川県平塚市の七夕祭、安城市の七夕祭などがあります。
日本三大七夕祭としては色々あげられますが各地で行われていますので、お近くの七夕祭に足を運んでみてもいいですよね。
👉 仙台七夕まつり (2026年8月開催)
仙台七夕まつり は、仙台藩祖の伊達政宗の時代から続く伝統行事として受け継がれ、毎年8月に仙台で開催される日本有数のお祭りです。
豪華な吹き流しが商店街を彩り、七夕飾りの展示やステージイベントが行われます。
前夜祭の花火大会や屋台グルメも楽しめる、東北の夏を代表するお祭りです。


👉 湘南ひらつか七夕まつり (2026年7月開催)
戦後復興の象徴として1950年代に始まった、神奈川県平塚の伝統ある七夕イベントです。
豪華な大型七夕飾りが商店街を埋め尽くし、湘南スターモールではパレードやダンスパフォーマンスが開催されます。
織り姫・彦星をイメージしたコンテストや各種ステージイベントも見どころです。
さらに、屋台では地元グルメや夏祭りならではの味覚を楽しむことができます。
昼は活気にあふれ、夜はライトアップで幻想的に彩られる、湘南の夏を代表するお祭りです。


👉 おりもの感謝祭一宮七夕まつり (2026年7月23日ー26日開催)
昭和31年(1956年)に始まり、今では市民に親しまれる夏最大のイベントとして定着しています。
会場には煌びやかな七夕飾りが並び、「御衣奉献大行列」や「ワッショーいちのみや」、コスプレパレード、盆踊り大会など多彩な催しが行われます。
開催地の一宮は織物のまちとして知られ、その文化を反映したお祭りとしても魅力的です。
また、真清田神社に祀られる織物の神にちなみ、地域の発展と感謝の想いが込められています。
毎年7月下旬、木曜日から日曜日までの4日間にわたり盛大に開催され、多くの人々で賑わいます。


👉 入間川七夕まつり (2026年8月1日ー2日開催)
仙台の七夕まつりに次ぐ長い歴史を持ち、江戸時代から伝わるといわれています。この祭りが行われていた8月の6日か7日に雨が降るといった現象がありました。
また、狭山の七夕は、他と違い大半が飾る人それぞれの手作りでつくられています。飾りは原則として紙を使うことになっており、飾りの先端には魔よけが付けられるなど、他の都市にはない独自の特徴があります。


👉 安城七夕まつり (2026年8月7日ー9日開催)
1954年(昭和29年)に第1回目「安城七夕まつり」が開催されて今日に続いています。
竹飾りのストリートが日本一長いと言われ、同様に短冊の数、願いごとに関するイベントの数も日本一であると思われます。「願いごと短冊」「願いごとふうせん」「願いごとキャンドル」など、これらの「願いごと三大イベント」以外にも、期間中だけの七夕神社、公式キャラクター・きーぼーの本拠地など、見逃せないコンテンツでいっぱいです。


他にもたくさんあります。2026年の情報が出ているものにリンクはりました。
阿佐谷七夕まつり(東京都杉並区)、
前橋七夕まつり(群馬県前橋市)、
茂原七夕まつり(千葉県茂原市)、
福生七夕まつり(東京都福生市)、
大分七夕まつり(大分県大分市)、
清水七夕まつり(静岡県静岡市)、
橋本七夕まつり(神奈川県相模原市)、
川口七タまつり(埼玉県川口市)、
上福岡七夕まつり(埼玉県ふじみ野市)、
下町七夕まつり(東京都台東区)、
小川町七夕まつり(埼玉県小川町)、
京の七夕(京都府内)、
淡嶋神社 たなばた祭(和歌山県和歌山)、
竹原七夕まつり(広島県竹原市)、
防府天満宮七夕まつり(山口県防府市)、
機物神社七夕まつり(大阪府交野市)
七夕
七夕の起源には数多く説があるそうですが、下記3つが合わさったものとも言われているそうです。
(1)もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」
(2)奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)
(3)おりひめとひこぼしの伝説
棚機(たなばた)とは
昔の日本では、夏になると女性が着物を織って棚に供え、神さまに豊作を祈り、人々のけがれを清める行事が行われていました。
この行事で選ばれた女性は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、清らかな川や沼の近くに建てられた小屋に籠って、神さまのために心を込めて着物を織りました。織り上げた布は棚に供えられ、神さまを迎えて秋の豊作を祈り、村人のけがれを清める習慣でした。

この「棚機(たなばた)」の行事が、現在の七夕の起源とされています。やがて仏教が伝わると、棚機はお盆を迎える準備として旧暦7月7日に行われるようになりました。
乞巧奠(きこうでん)
七夕は中国で「しちせき」と呼ばれ、7月7日に織女星にあやかり裁縫や技芸の上達を祈ります。
庭先に針などを供え、芸事や書道の上達も願いました。
中国の七夕伝説が日本に伝わる以前に、「棚機(たなばた)つ女(め)」と呼ばれる古くからの伝承があり、中国から伝わった儀式と日本の儀式が結びついたという話があります。
おりひめとひこぼしの伝説
織女星(ベガ)は裁縫を、牽牛星(アルタイル)は農業を司るとされます。旧暦7月7日に天の川を挟んで光ることから、中国で二人が年に一度だけ会う日とされ、七夕物語が生まれました。
でも、ベガとアルタイルの2つの星の間は、14.4光年ほど離れていて、これは、光のスピードでも約14年半かかってしまう距離だそうです。つまり、二人が光のスピードで移動したとしても、1年に1回会うことは、とても無理なんですって!(T T)

日本での七夕行事
平安時代には宮中行事として行われ、桃や梨、ナス、ウリ、干し鯛などを供え、詩歌を楽しみました。梶の葉に和歌を書き願いごとをするのが習わしでした。
江戸時代の庶民の七夕
庶民の間にも広まり、野菜や果物を供え、学問や芸事の上達を願いました。梶の葉の代わりに五色の短冊に願いごとを書いて笹竹に吊るすスタイルが生まれました。五色は中国の五行思想に由来します。
現在の七夕
7月7日の夜、願いごとを短冊に書き笹や竹に飾ります。竹や笹には神聖な力があるとされ、祭りの後に川や海に流すことでけがれを祓う意味があります。
参考
👉 えんむすびの神様 京都地主神社「七夕の歴史・由来」
👉 多摩六都科学館「七夕の由来」
👉 国立天文台「七夕について教えて」
今回のお勧め本は、冷泉為任『冷泉家の歴史』朝日新聞 1981 です。
冷泉家の第24代当主であった冷泉為任 氏(1914年〈大正3年〉 – 1986年〈昭和61年〉)が書いた本ですので、リアルに冷泉家の歴史が分かりました。
実際にこういう家に生まれたらどんな人生になるんだろうか・・・と思わずにいられない本でした。
冷泉家は、藤原定家の孫である冷泉為相を祖としています。為相の墓が鎌倉の浄光明寺にありますね。
藤原定家は「明月記」で有名です。源実朝も定家に歌を習ってました(もちろん文通で)。そんな定家は、1006年に超新星爆発があったことを「明月記」に記録として残しました。その記録と現在の研究から、この超新星は史上最も明るく輝いた核暴走型超新星といわれています。
これ、世界的にもすごいことらしいです。
参考:京都大学「藤原定家の超新星は非対称爆発をした-X線天文衛星「すざく」が明らかにした標準光源の「ゆがんだ」形状-

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