2月11日は 長勝寺 大國禱会成満祭 |荒行僧の水行が迫力満点!

長勝寺山門 大國禱会成満祭
長勝寺山門 大國禱会成満祭案内

2月11日、鎌倉の長勝寺 大國禱会成満祭は、真冬の空気が一気に張りつめる特別な行事です。荒行を終えた僧侶たちが、勢いよく頭から冷水を浴びる水行は、目の前で見ると想像以上の迫力。

境内に響く読経の声と水しぶきが重なり、まさに“修行の最終日”にふさわしい緊張感に包まれます。この記事では、開始時間の目安(10時〜10時30分)や見どころ、当日の雰囲気を、現地での参拝記録をもとに詳しく紹介します。

⏰ 時間
10時から(10時30分頃になる年も)
📝 受付
なし(拝観無料)
🚶‍♂️ 見学場所
水行場の周り
👥 混雑
すごく混んでいて見学できないということはないですが、後ろの方ですと修行僧は水を汲むため立ったり座ったりしますので、見えない可能性はあります。
⏳ 到着目安
特にありませんが30分前だと安心ですね
⌛ 所要時間
30〜60分程度(その年の修行僧の人数にもよる)
👟 服装
特にありませんが、近くの場合濡れる可能性があります
📸 撮影
撮影可(あくまでも修行の場です)
☔ 雨天
実施
⚠️ 注意点
あくまでも修行の場ですので、静かに節度をもって見学したいものです。
水行場のすぐ近くですとカメラも濡れる可能性があります。

午前11時厳修となっていますが、始まるのは10時から10時30分の間ぐらいですので、時間を間違わないようにしたいですね。
この厳修は、「ごんしゅ、ごんしゅう」と読むのが正しく、「法会を厳かに執り行うこと」だそうです。
出典:文化デジタルライブラリー

長勝寺 大國禱会成満祭 水行場に向かう修行僧
控室?から水行場へ向かう修行僧
長勝寺 大國禱会成満祭 水行場に向かう修行僧
水行を追えて戻る修行僧

11時前には会場の水行場に人の輪ができていました。

写真を撮影したい場合や、間近で見たい場合は早めに着いておくことをお勧めします。

修行僧たちが白い行者姿でうちわ太鼓に導かれ、水行場へと向かいます。
当然髪などは剃っていないので伸び放題でした。
水行場の前に修行僧がたどり着くと、奉仕者が脱いだ衣服を預かります。

長勝寺 大國禱会成満祭 修行僧たち 2020年
2020年2月11日 10時33分 撮影
長勝寺 大國禱会成満祭 修行僧たち 2020年
2020年2月11日 10時33分 撮影

褌姿で経文を唱えながら、手桶の水を頭から浴びます。あまり近くにいると濡れますので注意。

低音ボイスでお経を唱えながら水をかぶる姿は迫力がありました。
その迫力のある動画もどうぞ!

大国祷会成満祭を終えたあとの水行の場、すのこが水で濡れています。
11時過ぎには終了しました。

長勝寺 大國禱会成満祭 修行僧たちの行が終了した後の水行場
2020年2月11日 11時8分 撮影

2022年も見学しましたが、この年は11時だと思って言ったら終わりかけていました。(最後の組だったかと)年によって修行される僧の人数も違うので、時間も若干異なってきますね。

長勝寺 大國禱会成満祭 修行僧たち 2022年
2022年2月11日 11時1分 撮影
長勝寺 大國禱会成満祭 修行僧たち 2022年
2022年2月11日 11時2分 撮影
長勝寺 大國禱会成満祭の案内版

大國禱会成満祭(だいこくとうえじょうまんさい)は、毎年2月11日に鎌倉の長勝寺で行われる、日蓮宗の伝統的な行事です。

この行事は、千葉県の法華経寺で100日間にわたる厳しい修行「寒の荒行」をやり遂げた僧侶たちが、その修行の完成を示すために行う最後の水行として知られています。

修行僧たちは白い行者姿でうちわ太鼓に導かれ、水行場へと向かいます。そこで褌姿になり、寒い風が吹く中、大きな声でお経を唱えながら、冷たい水を頭からかぶります。この水行を通して、修行の達成を仏さまに報告し、国の安泰や世界平和を祈ります。

大國禱会成満祭は、長く厳しい修行を乗り越えた僧侶の覚悟と信仰の深さを感じることのできる、大切な法要です。

門前の案内版に、「世界平和」「厄除開運」と書かれています。

中山法華経寺によると、「毎年11月1日の(大荒行堂入行会)から、翌年2月10日の(大荒行堂成満会)までの100日間、日蓮宗大荒行堂が開設され、全国からおよそ100名の僧侶が修行に挑みます。

この荒行は、すべての日蓮宗僧侶に義務づけられているものではなく、秘法を身につけたいと強く志した者だけが、自らの意思で参加し、この過酷な修行を成し遂げた僧侶のみが、日蓮宗の御祈祷を行うことを許されます。

荒行堂での生活は非常に厳しいもので、毎朝2時に起床し、冷たい水で身を清める「水行」を1日に7回行います。その後は堂内で、ひたすらお経の読誦と写経に励みます。

修行中は、麻の清浄衣(死に装束)を身にまとい、足袋の着用は許されず常に素足で過ごします。

食事は朝夕2回の白がゆのみで、家族や友人との連絡は一切禁止。テレビや新聞など、外部の情報に触れることもできません。」とあります。

👉 日蓮宗大本山中山法華経寺

日蓮宗 1263年創建
開山 日蓮聖人
開基 石井長勝

日蓮に帰依していた石井藤五郎長勝が、流されていた伊豆から鎌倉に戻った日蓮のため結んでいた庵を寄進したのが起源。

石井長勝は、鎌倉幕府の有力御家人である三浦氏の一族とされていて、松葉ヶ谷付近の地頭職をつとめてらしいです。

北条氏に三浦氏が滅ぼされた「宝治合戦」が1247年ですので、その後出家していてここでたようです。

長勝寺 日蓮聖人と四天王の銅像 斜め前から
前から見た日蓮聖人と四天王、右に見えるのが六角堂 2022.2.11撮影
長勝寺 日蓮聖人と四天王の銅像 斜め後ろから
後ろから見た日蓮聖人と四天王、左前に見えるのが水行場 2019.10撮影

日蓮聖人には「四大法難」と呼ばれる迫害があり、その一つが伊豆法難です。
伊豆法難とは、弘長元年(1261年)5月12日、日蓮大聖人が鎌倉幕府によって捕らえられ、伊豆(現在の静岡県伊東市)へ流罪となった出来事を指します。

その背景には、日蓮聖人が鎌倉幕府に提出した『立正安国論』があります。この書では、当時広まっていた念仏(法然の浄土教)への厳しい批判がなされており、それに反発した念仏者たちが松葉谷の草庵を襲撃し、日蓮聖人の命を狙ったと伝えられています。

さらに幕府への訴えが行われた結果、日蓮聖人は逮捕され、伊豆への配流が決定しました。

長勝寺 六角堂の扉が空いている様子
六角堂
長勝寺 普段の六角堂の様子
普段の六角堂
長勝寺境内にある俳優赤木圭一郎の銅像
赤木圭一郎 像

鎌倉の由比ヶ浜から、船で伊豆へ流される時、お弟子の日朗(にちろう)上人との涙の物語が今でも伝わっています。

鎌倉・由比ヶ浜から船で伊豆へ送られる途中、日蓮聖人は伊東沖の俎岩(まないたいわ)に置き去りにされましたが、漁師・弥三郎に救われたという伝承が残っています。

また、出立の際には、弟子の日朗上人との涙の別れがあったことも語り継がれています。

日蓮聖人は伊豆で約3年間を過ごし、弘長3年(1263年)に赦免されて鎌倉へ戻り、再び伝道活動を開始しました。その流れの中で、帰還後まもなく長勝寺が創建されたと考えられます。

妙長寺には、伊豆流罪となった日蓮聖人の「法難御用船」の1/6 模型があります。
光則寺には、日朗が幽閉されていた土牢があります。

JR鎌倉駅東口3番バス乗り場から名越方面行きで「長勝寺」下車徒歩1分
鎌倉駅から歩くと約18分(1500m)

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