旧華頂宮邸 公開 は、昭和4年に建てられた国登録有形文化財の洋館内部を見学できる、年2回だけの貴重な機会です。
2026年4月18・19日の公開では、ハーフティンバー様式の美しい外観やフランス式庭園、華頂宮家ゆかりの歴史を間近で感じられます。
この記事では、旧華頂宮邸の見どころや公開日程、建物の特徴を写真とともにわかりやすく紹介します。
敷地内の庭園は、通年公開していますので見学することはいつでも(休園日:月・火・水(祝祭日の場合、翌平日)、年末年始)できますが、建物内部の公開は年に2回計4日のみです。
旧華頂宮邸 春の特別公開 時間・並ぶ場所・注意点まとめ
旧華頂宮邸 公開
👉 鎌倉市「旧華頂宮邸」
旧華頂宮邸アクセス
神奈川県鎌倉市浄明寺2丁目6−37
JR鎌倉駅東口 バス4番のりば 「金沢八景駅」行き又は「鎌倉霊園正門前太刀洗」行き又はハイランド循環 「浄明寺」バス停下車 徒歩6分 報国寺奥
鎌倉駅から徒歩で35分程度(約2.6km)かかりますが、天気の良いには鎌倉駅から鶴岡八幡宮や杉本寺、報国寺などの神社仏閣をめぐりつつ歩かれることをお勧めします。
年2回の公開日以外でも見学は出来ます(建物内は不可)が、ほとんど人がいない建物を静かに見学するのも一興ですね。


旧華頂宮邸の風景と由来
門から母屋までそれほど距離がなく、母屋の背後にはフランス式庭園が広がっています。
母屋から庭園を見るのも、庭園から母屋の建物を見るのもどちらも最高です。



1929年(昭和4)に華頂博信侯爵(1905-1970)の邸宅としてたてられましたが、華頂侯爵の邸であったのはわずか11年だそうです。
1940年には永田邸となり、戦後米軍に接収され、1970年松崎邸、1987年村田邸となり、1996年からは鎌倉市の所有するところとなり、管理されています。
3D画像で建物内を見ることができますので、ぜひ! ぐるぐる動かしていると少し気持ち悪くなるかもしれません(個人感想) 👉 旧華頂宮邸3Dモデル
旧華頂宮邸奥にある無為庵という日本家屋
奥には無為庵という和館があります
こちらは、無為庵は、1971年(昭和46年)に東京・上大崎の松崎邸を移築したものを増築したもので、建築年代は昭和初期以前にさかのぼります。
名称の由来は、棟札に記された「六十五歳にして浄明寺宅間ヶ谷に余生を送らんが為、無為庵主」という一文によるものです。
茶室の天井は中央が八角形となっており、16本の棹縁が放射状に配されるなど、独特の構成が見られます。
また、柱材には、かりんや南天、皮付きの桜、竹といった珍しい素材が用いられ、非常に個性的な意匠が施されています。


あわせて移築された門も、同じく昭和46年に移されたもので、建設時期は茶室よりさらに古い昭和初期以前と考えられています。
形式は薬医門で、冠木の両端には獅子の彫刻があしらわれており、一般住宅の門というより、寺院を思わせる重厚で格式ある造りとなっています。
屋敷の主だった華頂博信侯爵とは
華頂宮家は伏見宮家から出ています。
家系図を書いてみましたが、人数が多すぎて訳が分からなくなりそうでしたので、伏見宮家の当主と華頂宮家だけピックアップしてみました。(説明が長いので家系図だけみていただいて構いません)

長谷川功氏によれば、「伏見宮家はもともと室町時代の崇光天皇の皇子・栄仁(よしひと)親王を祖とする世襲親王家である。
第3代貞成(さだふさ)親王の第一皇子の彦仁王が後花園天皇となって今日の皇統に連なり、第二皇子の貞常親王が伏見宮第4代で、その後も歴代当主は天皇の猶子となって親王に任ぜられ皇位継承権を有した。
「もうひとつの天皇家」といわれるゆえんである。江戸時代末期の第20代邦家親王が子福者で、明治以降久邇宮、北白川宮など多くの伏見宮系の宮家ができた」そうです。
👉 新潟市医師会報 『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』 令和5年12月号より
邦家親王(第20代、第23代伏見宮家当主、1802-1872)がなんと、17男15女の子宝にめぐまれています。
華頂宮家はその邦家親王の第12王子である博経親王(1851-1876)が初代で、息子の博厚親王(1875-1883)が2代です。
博経親王は25歳の若さで亡くなっていて、息子はその時1歳。その息子も8歳でなくなっていますので、短命ですね。
邦家親王の第14王子である貞愛親王(第22代、第24代伏見宮家当主、1858-1923)の息子である博恭王(第25代伏見宮家当主、1875-1946)が第3代華頂宮家当主となります。伏見宮家当主だったのに??
伏見宮家当主は孫の博明王に譲られました。
華頂宮家は、息子の博忠王(1902-1924)が4代目となりましたが、22歳で亡くなられてます。
大正13年(1924年)3月19日、4代博忠王が嗣子を残さず薨去したことにより宮家としては断絶しましたが、大正15年12月7日に弟の博信王が臣籍降下し華頂宮家の祭祀を継承した。
同年に結婚したので、鎌倉のこの邸には一緒に住んでいたのでしょう。その後、華頂侯爵は1951年に妻とも分かれています。
その他の鎌倉の建造物
鎌倉の洋館ビッグスリーと言えば、「鎌倉文学館」「古我邸」と「旧華頂宮邸」ですね。
鎌倉文学館
鎌倉文学館は今改装工事中で、見学できるようになるのが令和11年だそうです。
👉 鎌倉市「鎌倉文学館」









古我邸
古我邸は、レストラン、ウエディング会場としてオープンしていますが、通常見学は外からしか出来ないようです。👉 古我邸






その他にも鎌倉には多くの景観重要建築物があります。お寺や神社だけではなくそんな建物をめぐる観光も楽しいです。泊まれるホテルもありますし、レストランとして食事もできるところもあります(ドラマのロケでも使われました建物もあります)。
👉 鎌倉市「鎌倉の景観重要建築物等一覧表」

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