2026.4.7-8 極楽寺の特別拝観はとにかく熱い! Gokuraku-ji’s special viewing is amazing and great!

イベントスケジュール

2026年3月10日現在、2026年の情報はまだ出ていないようですので、日程については別途ご確認ください

以前は、4月7日から9日の3日間でしたが、令和5年(2023年)からは4月7日、8日の2日間となっています。(写真は2021年と2022年)
2026年は火曜日・水曜日ですね。

2025年の情報を元にお届けします。
基本情報2025 👉 鎌倉観光公式ガイド【4月7日・8日】極楽寺 仏生会(極楽寺)

その
4月7日・8日の2日間、極楽寺のご本尊である秘仏「清凉寺式釈迦如来」がご開帳されます。
十大弟子像と共に極楽寺創建より伝わるその姿を参拝することができます。

その②
4月8日はお釈迦様がお生まれになった日で、「花まつり」「降誕会」とも言われますが、甘茶を誕生仏に注ぎお釈迦さまの誕生を祝う灌仏会なども行われます。

鎌倉の花まつりの情報はこちらのブログで紹介しています 👉 2026.4.8 花まつり|お釈迦様が生まれた日

その③
極楽寺開山である忍性菩薩の御廟特別参拝。極楽寺の裏にある忍性の五輪塔(鎌倉市内で一番大きいと言われる)の見学ができます。(撮影不可)
写真はこちらで確認できます 👉 文化遺産オンライン「極楽寺境内・忍性墓

その④
この日だけの講座もあります。たぶん10時前には並んでいないとチケットは確保できないと思います。

その⑤
年によっては桜もまだ見どころです。

極楽寺について

真言律宗
霊鷲山(りょうじゅせん)極楽寺
開山:忍性 
開基:北条重時

極楽寺について書こうと思うととてもじゃないけれど、文章が長くなるのでサラリと紹介します。

鎌倉の極楽寺は、鎌倉時代を代表する大寺院の一つです。最盛期には七堂伽藍を中心に、その周囲をぐるりと囲むほどの広大な寺域を有していたと伝えられています。現在の静かな境内からは想像しにくい規模ですが、当時の極楽寺がいかに大きな存在であったかが分かります。

極楽寺はまた、材木座にある和賀江島を管轄していた寺院でもありました。和賀江島は日本最古の築港跡として知られ、鎌倉の物流を支える重要な港でした。極楽寺は信仰の場であると同時に、鎌倉の都市機能にも関わる寺院だったのです。相当な実力寺院だったということですね。

極楽寺の名を高めた人物が、高僧・忍性です。忍性は、病人や貧民、社会からこぼれ落ちた人々を救うため、施薬や施療などの福祉事業に力を注ぎました。その活動は当時としては非常に先進的で、人々からは病を癒やす仏にたとえて「医王如来」と仰がれるほどでした。

一方で、忍性のこうした姿勢に真っ向から異を唱えたのが日蓮です。日蓮は、忍性の救済活動を評価するどころか、「念仏や真言に基づく行いは正法ではない」として厳しく批判しました。極楽寺を拠点とする忍性と、法華経を絶対視する日蓮との対立は、鎌倉仏教の思想的な緊張関係を象徴する出来事の一つといえます。
経済的にも政治的にも実力者に噛みつくというのは戦略の王道かもしれませんね

現在、極楽寺の境内には「お茶臼」と呼ばれる石臼が残されています。これは忍性が、病人や貧しい人々に薬として茶を飲ませるため、茶葉を挽いた臼と伝えられています。茶が嗜好品ではなく薬として扱われていた時代を今に伝える遺物であり、忍性の実践的な救済活動を身近に感じさせてくれます。

今回のお勧め本は、森幸夫著『北条重時 人物叢書 新装版』吉川弘文館 2009 です。

1259年、北条重時は極楽寺を現在の地に再建しました。その後、1267年(再建から8年後)、重時の息子である長時と業時が高僧忍性を招き、正式に極楽寺を開山します。
極楽寺の開基は重時とされていますが、重時はすでに1261年に亡くなっており、実際には息子たちが、亡き父の志を継いでその名を開基として寺を整えたことになります。

重時は『極楽寺殿御消息』を残した人物としても知られています。この文書は、現存するものとしては最古級の武士の家訓であり、人としての心得や生き方が記されています。内容を読むと、現代にも通じる教訓が多く、重時が非常に慎重で思慮深い人物であったことがうかがえます。
激動の時代を生き抜くためには、そうした心構えが不可欠だったのかもしれません。なお、重時は極楽寺を創建した人物というよりも、晩年をこの地で過ごした人物であり、極楽寺は彼の死後、その遺志を受け継ぐかたちで整えられていった寺院であるといえるでしょう。

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忍性について

良観房忍性 1217年~1303年

忍性は1217年、現在の奈良県磯城郡三宅町で生まれました。西大寺の叡尊に師事し、真言密教や戒律を学ぶ一方、貧しい人や病人の救済に身を尽くしました。とくにハンセン病患者を毎日背負って町まで通った話は、忍性の深い慈悲と強い意志を物語っています。

修行を終えた忍性は、1252年、36歳で関東布教の旅に出ます。常陸の三村寺を拠点に活動を始め、その名は鎌倉幕府にも届きました。

前執権北条時頼は叡尊を鎌倉に招き、北条一族や御家人に菩薩戒を授け、多くの人々を結縁したといいます。叡尊が鎌倉を去った後、忍性は鎌倉に入り、極楽寺を建立して開山しました。

しかしここで立ちはだかったのが日蓮です。日蓮は法華経を奉じない教団を厳しく非難し、建長寺や極楽寺、大仏殿への帰依をやめなければ日本は滅ぶと警告しました。忍性にも挑戦状を送り、「早く日蓮に帰依せよ」と迫っています。

旱魃の際、幕府は忍性に雨乞いの祈祷を命じます。日蓮は「7日以内に雨が降れば私の弟子になれ。降らなければ法華経の信者になれ」と挑発。忍性は多くの僧を集めて祈祷しましたが、雨は降りませんでした。これを理由に日蓮は忍性を批判しますが、怒った忍性は浄土宗の良忠とともに日蓮を幕府に告訴。日蓮は竜ノ口での処刑を免れましたが、佐渡へ流罪となりました。

日蓮は、建長寺の蘭渓道隆に対し、「念仏は無間地獄の業、禅は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説」と厳しく非難したり、忍性に対しては、「長老忍性、すみやかに嘲哢の心を翻し、早く日蓮房に帰せしめたまえ」と挑発しています。
さすがに怒りますよね~

今回のその他のお勧め本は2冊あります。どちらも購入は難しそうですので、図書館や中古品屋で探してみてください。
👉 和島芳男著『叡尊・忍性 人物叢書 新装版』吉川弘文館 1988 忍性上人についてよくわかる本です。
👉 吉村良司著『鎌倉 忍性塔由来』北羊社 1972 も写真が白黒ですが、昭和47年当時の様子が分かって面白かったです。

アクセス

鎌倉市極楽寺3-6-7
江ノ電極楽寺駅(鎌倉駅から4つ目)下車 目の前です(ぐるっと回ります)

駅もおしゃれですね!

極楽寺さんの御朱印の字はとても美しいと思いませんか?

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