毎年7月15日、鎌倉五山第一位の建長寺で行われる「建長寺 三門梶原施餓鬼会」。
朝8時、鐘の音とともに三門の下で萬霊供養の施餓鬼会が始まり、続いて武将・梶原景時のための施餓鬼会が営まれます。
かつては午前と午後に分かれていた二つの法要が、現在では約1時間の中で続けて行われるのが特徴。
読経が響く静かな早朝の境内で、歴史と祈りが重なる特別な時間を体験できます。
この記事では、当日の流れ・開始時間・見どころ・梶原景時の逸話を、実際の写真とともにわかりやすく紹介します。
毎年7月15日に鎌倉五山の第1位である建長寺で執り行われる三門梶原施餓鬼会に行ってみませんか?
朝8時から心が落ち着きます。
建長寺 三門梶原施餓鬼会 開始・終了時間
8:00から(約1時間)
建長寺の拝観時間は通常8:30からですが、この日は入れますのでご安心ください。
👉建長寺「拝観案内」
建長寺の三門の下で早朝から行われる萬霊供養の施餓鬼会の後、梶原景時の慰霊のために、再度施餓鬼会が行われます。



朝8時に鐘楼が撞かれた後、管長を中心に読経が始まります。


夏目漱石は、建長寺の鐘を見て「柿食えば 鐘がなりけり 建長寺」と詠みました。
病気で松山へ帰郷した正岡子規が、ちょうど赴任していた漱石の下宿で(漱石はこの時の経験をもとに名作『坊ちゃん』を書いたんですよね)この句を見て、柿の名産地である奈良県を連想して、「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」と詠んだそうです。
ほとんど「パクリ」やん!
ですので、元は建長寺です!
その後「水向け」の儀式となります。
水向けとは桶に汲まれた「閼伽水(あかすい)」をまいて餓鬼に水や食べ物を施す儀式です。
水向けが終わると僧侶たちが三門の前を読経しながらぐるぐると歩きます。



管長が去った後も残された僧侶たちにより読経が続けられています。
実は管長がいなくなってからが梶原景時のための施餓鬼会なんだそうです。
以前は、午前に三門施餓鬼会、午後に梶原施餓鬼会が別々に行われていたそうですが、現在では形式が変わり、朝8時から約1時間の中で二つの法会が続けて執り行われています。
そのため、見学していると区切りが分かりにくいのですが、途中で導師(館長)が一度退き、開山の蘭渓道隆 が宋から伝えたとされる梵語の『般若心経』が唱えられる場面から、「梶原施餓鬼会」が始まるのだそうです。
私自身、実際に見学していてもその違いはまったく分かりませんでしたが、こうした背景を知ると、同じ法会の中にも歴史的な意味の区切りがあることが見えてきて興味深く感じました。

朝8時から始まった施餓鬼会も1時間ほどですべてが終わります。
その後は一般の参列者も祭壇にお参りすることができます。
三門脇のベンチには、梶原景時ゆかりの「瀬名・梶原会」の方々などが施餓鬼会を見守っていました。
瀬名・梶原会とは
静岡葵・清水区境の梶原山公園の清掃。「梶原一族」の全国団体交流、歴史探訪、関連イベントも行なっている団体です。梶原景時は現在の静岡市葵区の「瀬名」にある山の頂上で最期を迎えたとされています。
その関係でバスでこの三門梶原施餓鬼会に参加されているようです。
施餓鬼会とは
施餓鬼会は、餓鬼道で苦しむ霊や無縁仏に食べ物や水を施して供養する仏教法要で、阿難と焔口餓鬼の説話に由来します。
盂蘭盆会が先祖を迎えて供養する行事であるのに対し、施餓鬼会は縁のない霊にも広く施しを行う点が特徴です。法要では施餓鬼壇を設け、供物や水を捧げ読経し、功徳を衆生へ回向します。
お布施は三千円〜一万円程度が一般的ですが地域差があります。
盂蘭盆会を大施餓鬼会と呼ぶ場合もあり、宗派を問わず広く行われ、中国宋代に盛んになった後、日本でもお盆と並ぶ重要な供養行事として定着しました。
| 行事 | 誰を供養する? | 主な目的 |
|---|---|---|
| 盂蘭盆会(お盆) | 先祖 | 先祖を迎え、感謝と供養を捧げる |
| 施餓鬼会 | 餓鬼・無縁仏・縁のない霊 | 飢えに苦しむ霊へ施しを行い救済する |
参考
👉 お仏壇のはせがわ「施餓鬼(せがき)とは?お盆との関係・お布施の相場・宗派の差を解説」
👉 日本仏教学院「施餓鬼会とは?」
なぜ建長寺では施餓鬼会を2回するの?
建長寺で行われる「三門梶原施餓鬼会」は、武将 梶原景時の亡霊を弔う法会です。
その由来は、建長寺が開かれて間もない頃にさかのぼります。
7月15日、三門では例年どおり施餓鬼会が営まれていました。
法会が終わった直後、一騎の武者が馬を走らせて駆けつけましたが、すでに儀式は終わっており、武者は落胆して立ち去ろうとします。
その様子を見た開山・蘭渓道隆(大覚禅師)は僧に命じて武者を呼び戻し、あらためて施餓鬼会を執り行いました。法会の後、道隆が名を尋ねると、武者は「梶原景時の霊である」と名乗り、感謝を述べて静かに姿を消したと伝えられています。
これ以来、建長寺では毎年7月15日に、午前の「三門施餓鬼」と午後の「梶原施餓鬼」を行う習わしが生まれました。
梶原景時
梶原景時(?〜1200)は、平安末から鎌倉初期にかけて活躍した武将で、相模国鎌倉郡を拠点とする武士団・鎌倉党の一族に属していました。本拠は現在の鎌倉市梶原周辺にあたる梶原郷とされています。
石橋山の戦いで源頼朝が敗走した際には、平家方でありながら頼朝を見逃して命を救ったことで知られ、その後は頼朝の側近として重用されました。武勇だけでなく学識にも優れ、和歌や弁舌にも長けた、当時としては珍しい教養豊かな武将だったと伝えられています。
2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の時は、鎌倉にラッピングしたタクシーが走っていました。
2026年現在は残念ながら走っていないようです。
13人分のタクシーはあるはずだったんですが、残念ながら私もコンプリート出来ずでした。

景時は侍所の所司(次官)を務め、のちに別当(長官)へと昇進し、御家人たちの統制にあたりました。しかしその厳格な姿勢が反発を招き、多くの御家人から疎まれる存在となっていきます。
正治元年(1199)、源頼朝の死後には御家人66名による連判状で弾劾され、ついに失脚して鎌倉を追放されました。翌年には一族とともに戦いの中で命を落としたと伝えられています。
息子の源太景季の墓が笛田の仏行寺にありますね。


こちらのお寺は「つつじ」で有名です。
見頃は4月中旬から下旬です。
撮影日は2022年4月23日、2023年4月16日、2025年4月29日








仏行寺アクセス
鎌倉市笛田3丁目29-22 拝観料 100円
鎌倉駅からも藤沢駅からも少し遠いので、モノレールの湘南深沢駅から歩くか、バス停「笛田」もしくは「常盤口」から歩くことになります。
建長寺について
建長寺の正式名称は巨福山建長興国禅寺で、山号は地名の「巨福呂(こぶくろ)」に、寺号は年号の「建長」に由来します。本尊は木造地蔵菩薩坐像。鎌倉五山第一位に列せられ、臨済宗建長寺派の本山として知られています。



1253(建長5)年、鎌倉幕府第5代執権・北条時頼が宋の高僧蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招いて創建した、日本で最初の禅宗専門道場であり、幕府との結びつきも強い寺院でした。
創建当初の伽藍は、中国・径山万寿寺にならい、主要な建物が一直線に並ぶ配置だったと伝えられます。しかし、度重なる地震や火災で被害を受け、そのたびに再建が行われ、現在の堂宇の多くは近世の再建・移築によるものです。また、1325(正中2)年と1326(嘉暦元)年には、造営費用を得るために元へ貿易船を派遣した記録も残っています。



寺宝には、蘭渓道隆像(絵画)をはじめとする国宝・重要文化財が多数あり、なかでも1255(建長7)年に北条時頼が鋳造させた梵鐘は「関東第一の名鐘」と称えられています。
鎌倉時代末には、寺僧や関係者の数は約千人に達したといわれ、寺で必要とされた米は年間三〜四千石、年貢米は五千貫に及んだとされます。寺領は莫大だったと考えられますが、確実な史料は残っていません。

塔頭はかつて49院を数えましたが、現在残るのは以下の12院です。
西来庵・妙高院・同契院・天源院
正統院・龍峰院・宝珠院・回春院
禅居院・華蔵院・長寿寺・円応寺
👉参考 「建長寺について」
建長寺へのアクセス
鎌倉市山ノ内8
電話:0467-22-0981
拝観時間:8:30-16:30
拝観料:大人(高校生以上)500円、 小人(小中学生)200円

北鎌倉駅から約1km、歩いて13分
今回のお勧め本は、松村邦洋『松村邦洋「鎌倉殿の13人」を語る』プレジデント 2021 です。
松村氏は歴史に造型が深く、大河ドラマを愛してやまない氏が、「鎌倉殿の13人」を1年を通して楽しめるように書かれた本です。
歴史が分かるだけでなく、とにかく読みやすいです!
今読んでも面白いですよ!

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