鎌倉・極楽寺では、4月7日・8日の2日間にわたり、秘仏「清凉寺式釈迦如来」の御開帳や、忍性菩薩御廟の特別参拝、そして花まつり(灌仏会)など、春の行事が重なって行われます。
普段は見ることのできない仏像や御廟に触れられる貴重な機会であり、境内には甘茶の香りが漂い、静かで厳かな雰囲気に包まれます。
この記事では、2026年の特別拝観の内容や見どころを、過去に私が参加した時の写真とともにわかりやすく紹介します。
極楽寺の特別拝観 時間・並ぶ場所・注意点まとめ
| 項目 | 4月7日 | 4月8日 |
|---|---|---|
| 本尊御開帳・本堂参拝 | 11:00〜16:00 | 10:00〜16:00 |
| 忍性菩薩御開特別参拝 | 11:00〜16:00 | 10:00〜16:00 |
| 講座「鎌倉仏師の過去と未来」大仏師 奥西希生氏 | 13:30〜14:30頃 | なし |
| 講座「極楽寺の近世・近代」鎌倉国宝館 坪内綾子氏 | なし | 13:30〜14:30頃 |
| 甘茶接待 | なし | 10:00〜15:00頃 |
| 御前法楽 | なし | 11:00〜11:30頃 |
極楽寺の特別拝観は、以前は4月7日から9日の3日間でしたが、令和5年(2023年)からは4月7日、8日の2日間となっています。
2026年は火曜日・水曜日ですね。

本尊御開帳及び本堂参拝
7日:11時00分~16時00分 / 8日:10時00分~16時00分
この日は秘仏「清凉寺式釈迦如来」がご開帳され、十大弟子像と共に極楽寺創建より伝わるその姿を参拝することができます。
特別拝観で2体の釈迦如来さまを実際に拝観しましたが、特に心を惹かれたのが転法輪印を結ぶ釈迦如来坐像でした。
全国に2体しかない珍しい印相で、間近で見ると端正なお顔立ちや繊細な彫りがとても印象的でした。
ご本尊の清凉寺式釈迦如来さまは、縄を巻いたような髪型や首元まで覆う衣の表現が特徴的で、想像していたより若々しい雰囲気。
堂内には他にも貴重な仏像が配置されていますので、とても貴重な体験でした。
極楽寺の創建より伝わる本尊である釈迦如来立像(国重要文化財)の御開帳や本堂の忍性菩薩像や興性菩薩像を拝観できます。
(要焼香購入として1,000円)
甘茶接待
4月8日はお釈迦さまの誕生日で、「花まつり」「降誕会」とも呼ばれます。
境内では誕生仏に甘茶を注いでお祝いする灌仏会が行われ、私が参加したときも小さな花御堂の前に参拝者が並んでいました。
実際に甘茶をかけてお参りしたあと、振る舞われた甘酒もいただきましたが、ほんのり甘くてとても美味しく、春の空気と相まって心がほっとする時間でした。
釈尊の降誕のとき、龍が天から降りてきて香湯を灌いだという説(摩訶刹経)に依って、毎年誕生日の4月8日に誕生仏に甘茶をそそぐ法会です。
花御堂の中に「天上天下唯我独尊」のポーズをしている誕生仏に甘茶を灌ぎお祝いできます。
お釈迦様誕生のとき、天も祝福し甘露の雨を降らせたと云われ、その故事にちなみ甘茶を拝観者に接待します。
鎌倉の花まつりの情報はこちらのブログで紹介しています
👉 2026年4月8日|鎌倉の花まつり(灌仏会)とは?由来と甘茶かけができる寺院まとめ



忍性菩薩御廟特別参拝・御廟法楽
極楽寺開山・忍性菩薩の御廟特別参拝では、普段は入れない裏山に進み、鎌倉市内で最大といわれる忍性の五輪塔を間近で見ることができます(撮影不可)。
私も実際に極楽寺から歩いて5分ほどの場所にある五輪塔を参拝しましたが、想像していた以上に大きく、苔むした石肌や静かな周囲の雰囲気がとても印象的でした。
山の中にひっそりと佇む姿を目の前で見ると、写真では伝わらない迫力があります。
7日:11時00分~16時00分
8日:10時00分~16時00分
鎌倉のはもう1つ大きな五輪塔があります。それが浄光明寺にある「覚賢塔」です。
こちらも年1回の特別公開があります。
👉 2026.4.12–19|覚賢五輪塔の特別公開へ行こう!年に一度の公開ルートと歴史を解説
講座
この日だけの講座もあります。今年は講座は両日とも事前申込制となっていますので、事前に並ぶ必要はなくなりました。
【講座「鎌倉仏師の過去と未来」大仏師 奥西希生氏】 7日:13時30分~14時30分頃
鎌倉~室町時代に隆盛を極めた仏師集団を「鎌倉仏師」と言います。一度は伝承の途絶えた「鎌倉仏師」の歴史とこれから未来に向けての巨大プロジェクト「千年彫刻」についてのお話が聞けます。
【講座「極楽寺の近世・近代」鎌倉国宝館 坪内綾子氏】 8日:13時30分~14時30分頃
鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館は、2年にわたり文書調査を続けており、今回はその現場から、極楽寺の今の景観が作られた、幕末から近代の様子をお話を聞かせていただけます。
下記サイトから申込みください。https://forms.gle/WiVyVamYXSFuoPbFA
場所 : 極楽寺内
お問い合わせ : 0467-22-3402
講座料金 : ¥1000 (当日現地払い)
定員 : 40名
極楽寺の桜
年によっては桜もまだ見どころです。
極楽寺の桜は、山門から本堂へ向かう参道との相性が本当に素晴らしく、実際に歩いたときも、淡い桜色が参道の石畳にふわっと重なる景色に思わず足が止まりました。



鎌倉の桜スポットについても紹介していますので、ぜひご覧ください。
👉 2026年|鎌倉の桜はどこで見る?エリア別の名所とおすすめ散策コースを写真付きで紹介
極楽寺について
真言律宗
霊鷲山(りょうじゅせん)極楽寺
開山:忍性
開基:北条重時
極楽寺について書こうと思うととてもじゃないけれど、文章が長くなるのでサラリと紹介します。
鎌倉の極楽寺は、鎌倉時代を代表する大寺院の一つです。
最盛期には七堂伽藍を中心に、その周囲をぐるりと囲むほどの広大な寺域を有していたと伝えられています。
現在の静かな境内からは想像しにくい規模ですが、当時の極楽寺がいかに大きな存在であったかが分かります。


極楽寺はまた、材木座にある和賀江島を管轄していた寺院でもありました。
和賀江島は日本最古の築港跡として知られ、鎌倉の物流を支える重要な港でした。極楽寺は信仰の場であると同時に、鎌倉の都市機能にも関わる寺院だったのです。相当な実力寺院だったということですね。
極楽寺の名を高めた人物が、高僧・忍性です。忍性は、病人や貧民、社会からこぼれ落ちた人々を救うため、施薬や施療などの福祉事業に力を注ぎました。
その活動は当時としては非常に先進的で、人々からは病を癒やす仏にたとえて「医王如来」と仰がれるほどでした。
一方で、忍性のこうした姿勢に真っ向から異を唱えたのが日蓮です。日蓮は、忍性の救済活動を評価するどころか、「念仏や真言に基づく行いは正法ではない」として厳しく批判しました。
極楽寺を拠点とする忍性と、法華経を絶対視する日蓮との対立は、鎌倉仏教の思想的な緊張関係を象徴する出来事の一つといえます。
経済的にも政治的にも実力者に噛みつくというのは戦略の王道かもしれませんね。
現在、極楽寺の境内には「お茶臼」と呼ばれる石臼が残されています。これは忍性が、病人や貧しい人々に薬として茶を飲ませるため、茶葉を挽いた臼と伝えられています。
茶が嗜好品ではなく薬として扱われていた時代を今に伝える遺物であり、忍性の実践的な救済活動を身近に感じさせてくれます。
開山 忍性について
良観房忍性 1217年~1303年
忍性は1217年、現在の奈良県磯城郡三宅町で生まれました。西大寺の叡尊に師事し、真言密教や戒律を学ぶ一方、貧しい人や病人の救済に身を尽くしました。
とくにハンセン病患者を毎日背負って町まで通った話は、忍性の深い慈悲と強い意志を物語っています。
修行を終えた忍性は、1252年、36歳で関東布教の旅に出ます。常陸の三村寺を拠点に活動を始め、その名は鎌倉幕府にも届きました。
前執権北条時頼は叡尊を鎌倉に招き、北条一族や御家人に菩薩戒を授け、多くの人々を結縁したといいます。叡尊が鎌倉を去った後、忍性は鎌倉に入り、極楽寺を建立して開山しました。
しかしここで立ちはだかったのが日蓮です。日蓮は法華経を奉じない教団を厳しく非難し、建長寺や極楽寺、大仏殿への帰依をやめなければ日本は滅ぶと警告しました。
忍性にも挑戦状を送り、「早く日蓮に帰依せよ」と迫っています。
旱魃の際、幕府は忍性に雨乞いの祈祷を命じます。日蓮は「7日以内に雨が降れば私の弟子になれ。降らなければ法華経の信者になれ」と挑発。
忍性は多くの僧を集めて祈祷しましたが、雨は降りませんでした。これを理由に日蓮は忍性を批判しますが、怒った忍性は浄土宗の良忠とともに日蓮を幕府に告訴。日蓮は竜ノ口での処刑を免れましたが、佐渡へ流罪となりました。
日蓮は、建長寺の蘭渓道隆に対し、「念仏は無間地獄の業、禅は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説」と厳しく非難したり、忍性に対しては、「長老忍性、すみやかに嘲哢の心を翻し、早く日蓮房に帰せしめたまえ」と挑発しています。
さすがに怒りますよね~
極楽寺アクセスと極楽寺の御朱印
鎌倉市極楽寺3-6-7
江ノ電極楽寺駅(鎌倉駅から4つ目)下車 目の前です(ぐるっと回ります)
駅もおしゃれですね!






極楽寺さんの御朱印の字はとても美しいと思いませんか?




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